Endless SHOCK 2018

pritznn.hatenablog.com

去年までのSHOCKについては去年いろいろ書いたので、今年のSHOCKについて。
まずはメインキャストが大きく変わりました!
去年との比較↓

  • 2017年

2〜3月帝劇 (9月梅芸、10月博多座)
Jr.オーディションで選考。浜中は隠し玉として後から追加。
ライバル:ヤラ、オーナー:ビバリ
リカ: 松浦雅さん
ふぉゆ:福田、松崎
浜中、寺西、元太、海斗(最年少)

  • 2018年

2〜3月帝劇 (地方公演なし)
ライバル:ユウマ、オーナー:久野綾希子さん
リカ:瀧本美織さん
ふぉゆ:
(コウイチチーム)福田、松崎
(ユウマチーム)越岡
寺西、元太、海斗(最年少)

リカは毎年変わるけど、ライバル役が屋良くん内くん以外になるのは2007年の斗真以来。10年間この2人だったんだねぇ。あと、オーナー役も美波里さん森久美子さん植草さん以外になるのは2008年の大倉オーナー以来です。まぁ久野さんは美波里モリクミラインを継いでいるので、大きな変更とは言えませんが。
リカ役は、去年も朝ドラに出ていた松浦雅ちゃんでしたが、今年はもっとテレビ女優さんの瀧本美織ちゃんで、なんでこんなしんどい仕事受けてくださったんですか?!ってビックリしたのに、その上直前まで昼ドラ主演で越路吹雪さんのタカラジェンヌ時代の役とかやってて、こーさま並みに超人…。それなのにインタビューでは「大好きなダンスが出来て楽しい❤️」って感じなので、ホント頭が上がりません。

10年ぶりにライバル役が変わるということもあって、SHOCKから足が遠のいていたものの「優馬がライバル役になるなら是非とも見なければ」と久しぶりに観たという歴戦のジャニオタは少なくなかった気配。やっぱり、めっちゃ好きなものならマイナーチェンジも嬉しいけど、別にそこまで…ってくらいだと大して変わらないものを何度も観るなんてお金と時間がもったいないですよね。わかるわかる。私はそこそこ好きなので、1シーズンに1回くらいは観たいです。

というわけで、今回も1回きりの観劇なので大したことは語れませんが、今年のSHOCKを観て感じたことを。

ライバル・ユウマ

SHOCKのコウイチは20代半ばの原石という設定だそうなので、ユウマとの年齢差はそれほどなくても良いはずなんだけど、いやでもそれは流石に無理がある。だって見た目もだけど、光一さんが39歳で優馬が24歳だってこと、みんな知ってるから!
話はそれるけど、同じようなことが梅芸版スカーレット・ピンパーネルにも起こっていました。ピンパーネル団を率いるパーシー役に石丸幹二さんで、ピンパーネル団は若手俳優たち。これ絶対年齢差あるよね?オトナが若者たちをけしかけたようにしか見えないよね??と、ザワザワしたものです。石丸さんはわるくない。

今回、実年齢差はストーリーに反映させないつもりって最初から言われていたので、その前提では観ていたけれど、やっぱり無理があるなーと感じてしまった。そう感じさせてしまったという時点で、他にやりようがあったのではと思わずにいられなくて、それはちょっと残念。

「まるでブラック企業じゃん!」という感想もちらほら見かけましたが、SHOCKはずっとブラック企業ですよね?というか、どの職場にもよくある光景だと思っていたのだけど違うのか…(ブラック生まれブラック育ちの鈍感さ)
今年特にブラックさが顕著になったのだとしたらやはり、コウイチとユウマに感じる上下関係にパワハラの気配が現れてしまったのかもしれません。
装置のトラブルで出とちってしまいスタッフにキツく当たるユウマに「その前に分かれって言ってるんだよ!」と怒声をあげるコウイチはどう考えても無茶なことを言ってるし、そういう無茶なこと言って怒鳴りつける上司いるよね〜、わかるわかる、めっちゃいる。

でも多分、この上司(コウイチ)は怒鳴りながらも「あっ、言い過ぎた」って気付いてる。自分からはフォローの言葉をかけることが出来ないし、たとえフォローしたとしても自分の言葉は素直に聞いてもらえないだろうことも分かっている。だからこそ、フォローの役割を越岡さんに自ら託してる。
今回、上下関係を感じてしまう理由は、ここにもあります。これまでのカンパニーはコウイチ・ライバル・ふぉ〜ゆ〜・浜中くらいまでは一緒に劇場で育ってきた同世代で、松松寺が年少組、という二世代だったのが、今回は、コウイチ/ふぉ〜ゆ〜/ユウマ・松松寺という三世代に見える。それはふぉ〜ゆ〜がコウイチの部下&年少組のフォロー役としての役割を担っているからなのです。
去年の浜中くんもライバルのフォロー役を担っていたのだけど、その前の年までは無かったポジションだし、明確にそのポジションであることがわかる台詞は無くて、演技だけで表現していたはず(多分)
ライバルを見守る立場の表現としては「コウイチがいる病院を雨の中見上げるライバル役に傘を渡そうとする」という描写があって、これは去年までは最年少(ユウタ、カイト)が担当していました。今年はこの役割を越岡さんが担当しています。年少組の時は傘を渡すも拒まれていましたが、越岡さんの場合はユウマに拒まれても強引に手を掴んで傘を持たせます。ここに越岡さんとユウマの上下関係も見てとれます。

コウイチを「ブラック企業のカリスマ社長」、ふぉ〜ゆ〜やリカたちカンパニーのメンバーを「カリスマ社長に心酔する中堅」、ユウマを「ブラックさに反発する若手」と例えると、中堅の中から過労死する人が出てきても不思議ではないですね。こわいこわい。実際のところ死ぬのはカリスマ社長なのですが。(笑い事ではない)
このあたりの話は派生して色々考えさせられたのだけど、あまりにも脱線するので別で語りたい。

ユウマがこれまでのライバル役とは大きく違う表現をしていたのが、1幕ラストでコウイチを斬りつけてしまう場面でした。そもそも、ライバルがコウイチがどんな無理難題も「Show must go on」の一言で片付けてしまうことに反発して、模造刀を本物の剣と取り替えることで*1「トラブルで真剣を使うことになっても本当にショーマストゴーオンできるのか?!」と挑発したのが事の発端で、殺陣でアドレナリンが高まったコウイチが挑発に挑発で返してライバルに真剣を渡してしまったがために起こった悲劇なのですが。コウイチに挑発されてその喧嘩を買ってしまい真剣で斬りつけちゃうのがこれまでのライバル、対してユウマは、挑発し返されたことに動揺してパニックになったもののどうしようもなく斬りつけちゃったという様子でした。

稽古中のインタビューでは、どの場面のことかは分かりませんが、ユウマがまだ感情を爆発させきれていないと語られていたのですが、結局のところ他のライバルのように爆発させるのではなく「動揺する」という表現になったのかもしれません。
この局面でどういう反応になるのが正解ということは無いと思うので、そんな解釈があるのか!と目からウロコでした。これまで何年も見てきた演出だと、特に考えずに真似をしてしまうこともできるのに、そこから新しい表現を生み出せたのは、そこに壁があったからなのでしょう。

Endless SHOCKをエンドレスに続けるのは無理があるのでは、という意見はたしかにごもっともだし、私だって過去には停滞感に痺れを切らして「一度ぶっ壊してみろよ!」と言ったこともあるかもしれません。でも、記録うんぬん関係なく、ジャニーズを代表する一定のクオリティが保証されている舞台としての存在意義があるのもわかる。だから現時点では、どのような形で続けていくのかに個人的興味が移りました。ライバルがユウマになったのが、新しい表現を生み出すためにわざと設けた壁なのか、偶発的に生まれた壁なのかはわかりません。その壁を越えて新たな表現を生み出すことに成功したと言えるのかどうかもわかりません。でも、挑戦を見ることができたし考えさせられたので、とても興味深く受け止めました。

美織ちゃんのリカ

優馬がどうなるかも超楽しみだったのだけど、個人的には美織ちゃんと久野さんも楽しみだったのでした。
美波里さんやモリクミさんは存在が派手でいかにもミュージカル感が強いので(このニュアンス伝われ)、久野さんだとどうなるのかなという期待感がありました。
あと、美織ちゃんは既に主役を張れる女優さんだし、しかも主戦場が映像なので、自然な演技をしてくれそう。美織ちゃんのお芝居は、ごーくんの舞台「ブエノスアイレス午前零時」で拝見したことがあって、タンゴも見事に踊っていたので、リカ役として何の不安も無かったです。逆に、みおりんほどの女優さんをSHOCKで長期間拘束して大丈夫なの?!という動揺の方が凄かった。(それは沙也加ちゃんの時も思った)

オーナー久野さんは、たしかに華やかなオーナーを見慣れた目には少し落ち着きすぎて見えたけれど、みおりんリカの母親としての説得力はあった。カンパニーと距離感があって、そのあたりの場面がしつこくならなかったのが個人的には好みかなぁ。

みおりんリカは期待以上でした!
意外にキーが低い歌声も伸びやかなダンスも意外に健康的な肢体も。ジャニーズそっちのけでリカを双眼鏡でガン見する事態。
それだけではなく、ちゃんと「リカ」として生きてる感じを受けました。特に台詞を変えてるわけじゃないし、演技の中でこの場面が特に、とも語れないので、うまく説明できないけれど。2幕の腹のくくりっぷりが良かったな〜。

こんなことに今さら気付いたと告白するのも理解力の浅さが知れるので恥ずかしいのですが、なんでライバルがリカに「オレを刺してくれ」って頼むかというと、2幕冒頭でライバルが見たシェークスピアの悪夢の中でリカが演じる王妃に剣を向けられたことを重ねてるんですよね。知らんがな(一蹴)。でも、そんな謎行動にも即座に対応してくれるリカは本当に理想のオンナだよ…。それに気付けたのは、リカが王妃と重なって見えたからで、もしかしてそういう演技だった?と思ったのでした。考え過ぎかなぁ。

みおりんに期待していたのは、オーナーと同じく「自然な演技」でした。こーさまは自分が演出だから誰かから演技指導を受けられるわけではないので、演技の手数を増やすためには相手役から新しい影響を受けるくらいしかできないなと思っていたのです。みおりんは我を通すタイプではなさそうだし、影響があったのかどうか私にはわからなかったけど。悪い例えで「少年マンガのヒロイン」的だったリカが、存在感が強まった気がしました。

強者と弱者と想像力

先のユウマの話で言いかけたカリスマ社長のパワハラの話とか、パンフを読んでひっかかった点とか、舞台自体の感想からは脱線した話。

突然カリスマ社長を例えに出したのはこの記事を読んだところだったからでした。
恋人は「疲れた」と言って死を選んだ。過労自殺を描いた直木賞作家が伝えたかったこと
過労死が社会問題として頻繁にニュースに取り上げられるようになっても、この図式に陥っている職場はまだまだあるようです。

光一さん自身もブラック生まれブラック育ちの昭和のオッサンだし(メンタルが)、自分がヒロムの思い付きに振り回されて生きてきたように、思い付きでアレコレ演出プランを変えてスタッフさんたちを振り回しているのかもしれない。でもそれはより良いものを作るためだから、「そのアイデアを実現したい!」とみんなが納得して取り組むことが出来ているのならそれはパワハラにはあたらないかもだし「コウイチについていく!だってそれしかわかんないし」という思考停止状態になっていなければ良い。
心はついて行きたくても身体が疲弊するとついて行けなくなるし、それを心の弱さの問題と決めつけるのも良くない。身体の具合が悪くなるのも、日頃の心掛けができてないからじゃないし、身体の不調を気合いで乗り越えるにも限度がある。

SHOCKを観劇したのが3/17で、3月始めに出た日経エンタのこーさま連載では年末年始のキンキコン演出を決めるまでの経緯を語られていました。昨年夏に発症したつよさまの突発性難聴はまだ完治していないので、例年通りの生バンドではなく、オーケストラ演奏という演出になりました。また、音を聴きとるのにかなりの集中力を必要とするので、歌いながら踊るのは無理。歌うだけか、踊るだけか、というパフォーマンスになりました。
正直なところ、つよさまが突発性難聴になるまで、病名は聞いたことがあってもどのような症状なのかは知りませんでした。つよさまが病気を隠さず語ってくれていたから知れたし*2、つよさまの症状と他の方の症状もきっと違う。
突発性難聴を患った他のアーティストさんたちが病気を隠して何年も歌い続けていたとしても、それは症状の個人差によるものかもしれないし、片耳の不調を無事な片耳でカバーし続けるうちに両耳とも悪くなったというのもよく聞く話。
体調不良やプライベートの事情、みんな色々あっても隠して職務を遂行することが美徳とされる社会だけれど、本当にそれは全員に適用されなきゃいけないルールなの?
つよさま自身、音楽への思い入れが特に強い人なので、ステージに立ちたい、音楽がしたいという気持ちは「職務の遂行」なんてものより強い欲求としてあるはずなんだけど、その中でいろいろ検討した結果「なるべく早く完治させる」を主眼において、出来る範囲のパフォーマンスをしてきました。

自分が消えてしまうことを知っていてなおステージ上で命の火を輝かせるコウイチのことも否定はしない。でも、それだけが舞台人のあるべき姿じゃないはず。体調を万全にして舞台に立つために降板して休養を取ることも、更なるパフォーマンスの向上を目指して留学することもそれぞれの選択。
自分の思いつく選択肢なんてたかがしれてるし、「そんなこと出来るわけないと思ってた!」という思い込みもあるかもしれない。だからどうか、各人の考えを自分のものさしだけで測らないで欲しい。

リカはずっと同じ役柄なのにずっとつかみきれないなと思ってたら、演出のこーさま自身もつかみきれてなかったみたい。それなら仕方ないな。
パンフの美織ちゃんとの対談で「リカの心情は、自分は男だからわからない」みたいなことを言ってて、それ!男だから女の気持ちはわからないって言うのはただの甘えだからな!と怒ってしまいました。女性ならではの感情、男性ならではの感情、ってものはもちろんあるんだろうけど、リカの一幕と二幕の変化は別に女性ならではの心情の変化ではないんじゃないの?と個人的には思っています。だって実際は幕間休憩分しか時間が経ってなくても、芝居の上では小さい頃からずっと一緒にいて妄信的に愛してきたコウイチが意識を戻さない1年間を過ごしていて、かつ亡くなったという事実を受け入れながら自分の死に気付いていないコウイチに対峙しなきゃいけないんですよ。

「人は矛盾したことを言うもの」というのも確かにその通りなんだけど。私だって「多様性を認めたい」と言っておきながら「解釈違い!」と罵ったりもするので矛盾もいいところ(スミマセン…)。でも、多様性を認めたい私はその瞬間だけは辻褄があってるし、解釈違いに怒る私もその瞬間だけは辻褄があってるのです。人間ずっと一貫した言動を取り続けるのは難しいけど、その時その時は自分なりに選んだ言動をとっている。つもり。たぶん。自分でもなんでやねんってツッコんでしまうことはあるある。

「あの時はああ言ったのに、後から違うこと言うの、なんでやねん」と思うこともあると思うけど、それを「矛盾したことを言う生き物だから」で片付けられちゃうのも嫌だなぁと思ってモヤモヤしたのでした。あの時ああ言ったのも、後からこう言ったのも、その時はその時で理由があるはずじゃないですか。そうじゃないと、気持ちを入れて台詞を言うことなんて出来ない。ただの段取り台詞になってしまう。役柄なんて他人なんだから自分のものさしに従った言動をとるわけないんだけど、その役のものさしに従った結果なのかなと推測して納得させないと演じるのは難しいと思うんだけどなぁ。

こーさまの許せるポイントは、自分がわかってないことに気付けていること、他の人には自分とは違うやり方があることを受け入れようとしていること。昭和のオッサン(メンタルが)なのによくこれだけ柔軟になれたよね。えらいえらい。(上から目線) だからこそ、もうちょっと頑張ってほしくて怒ってしまう。ほんとに申し訳ない。私もすぐ怒るのと解釈違いにキレるのは反省します。

こーさまとつよさまの行き違いに思うところがあったり(基本仲良しなのは分かってる)、パワハラについては私の職場における超個人的な悩みもあって、SHOCK観劇の帰りにツイッターでブチ切れていたのですが、冷静に長々と説明するとこんな感じです。問題発生時点での説明って往々にして不足しがちだし、お互いに感情的になっていると余計に誤解が誤解を呼んだりもするので、そういうものだと思って意識するくらいしか再発防止策はないですね…。

*1:っていうかなんで楽屋に本物の剣があったの?芝居で使うの?

*2:それは発症したのがデビュー20周年直前で、テレビ出演や20周年イベントが予定されていたから隠せなかったというのもあるだろうけど