羅生門

六本木歌舞伎「羅生門」に健くんが出演することになったので、はじめての歌舞伎体験をしてきました。大阪公演千秋楽です。

健くん目当てで滝沢歌舞伎を3年観てきたけど、歌舞伎パートは1幕の最後にちょっとやるだけだし、本格歌舞伎を観るのは初めてです。
六本木歌舞伎は一般的な歌舞伎とは異なる挑戦をする場だそうです。なので、通常の歌舞伎とは演出も構成も色々違うんだろうとは思うのですが。でも最近の歌舞伎ってワンピースとかナルトとかびっくり案件が多くて、健くんが出るくらいじゃ挑戦度的に大したことないよねぇという気持ちもありました。

健くんが出ることになったのは松竹の安孫子副社長のオファーだったそうで*1、健くんの集客力と健担の金払いの良さを見込まれたか…と斜めに見ていたものの、まんまと観に行って良かったです。

タイトルは「羅生門」ですが、ざっくり言うと、「羅生門」で命を落とした下人が転生して「茨木」の渡辺綱の家臣になり、そこでもまた命を落としてしまって、もう一度下人として転生してやり直す、という内容でした。ざっくりすぎた。
羅生門はうっすら読んだ記憶があるものの、茨木童子のことは知らなくて、今これを書くのにWikipediaを見て初めて、羅生門の鬼と茨木童子が混同している人が多いというのを知りました。*2なるほどそれでこの2つを繋げたんだな。(今更)

転生のタイミングで市川海老蔵(本人役)が現れて、死んでる下人にフランクに話しかけて小芝居というかフリートークというか遊びのパートになるので、かなりリラックスして笑いながら見れます。「お婆さん殺しちゃったけど、良いこと言ってたよ〜。何言ってたかちゃんと分かってる〜?」なんて言いながらストーリーの解説をしたり、台詞の言い回しがわかんないと言ってカジュアルな言葉で言い換えさせたりして、不慣れな観客にめちゃくちゃ親切。いやいやそこまで噛み砕かれなくても分かりますよ、と思うくらい。でも、羅生門茨木童子と繋がりを今まで知らなかった私なので、それくらい説明してもらっても充分なのかも。

健くんは他の歌舞伎役者さんと同じく白塗りの歌舞伎メイクで見得をするんだけど、その姿が何ともおぼこくて、カンカン(勸玄くん)の初舞台姿を彷彿としました。いやいや、この人今年40歳(カンカンは小学1年生)。純真さ真っ直ぐさを感じて、この歳で(歳の話はやめなさい)このピュアさが出せるなんてと改めて衝撃を受けました。台詞の言い回しはあえて歌舞伎に寄せていないところもあって(多分)、健くんだけが現代の男の子っぽくもあり異質な存在でした。理不尽な事柄に戸惑う青臭さがよく出ていました。
もしかすると健くん自身はもっと他の歌舞伎役者さんと同じような独特の発声や力強い見得を出来るようになりたかったのかもしれないけれど、私は今の未熟な感じで良かった気がしています。

ジャニーズ舞台にめちゃめちゃよく出てくる「太鼓」。個人的にはそれほどそそらないので「嗜好の違いかねぇ」と流していたのだけど、今回観た歌舞伎ではキターーーーッッ!!!感が凄くあって、血湧き肉躍りました。元々バンドの楽器の中でも一番好きなのはドラムだし、太鼓も好きなはずなんですよ。なんで今回ヒットしたのか考えてみたのだけど、長唄・三味線・鳴物は歌舞伎の音の表現として演出に当たり前にあるものなので、太鼓の存在を自然に受け入れることができたのかなと思います。太鼓に必然性を感じた。本格歌舞伎を観るのは初めてのはずなのに、何故この演出を当たり前だと感じることが出来たのか…?この馴染みっぷりこそ伝統芸能なのかもしれません。

歌舞伎で音の演出の他に心を奪われたのは、横に引く幕でした。人の手でさーっと開け閉めされる引幕、なんかすごく古典芸能感があって良い。拍手が止まず、何度もカーテンコールをしてくださって、その度に幕をさーっと開け閉めしていたのが面白かったのだけど、通常、歌舞伎にはカーテンコールってないものなんですか?ジャニオタはいつでもどこでもカテコとスタオベするから驚かれるんだけど、歌舞伎ファンにどう思われたのか今さら心配…。

少し話はそれるけど、羅生門の前にSHOCKを観に行っておりまして。今年のSHOCKは私にも分かるレベルのわりと大掛かりな改変がいくつかありました。
2幕はライバル役(今回は内くん)が見る悪夢として、シェークスピアになぞらえたシーンがあるのですが、恐らく初見でもこれは内くんが見ている悪夢だと分かるし、シェークスピアの元ネタを知らなくても大丈夫な、分かりやすい表現になっていた気がします。
あと、これまで台詞や表情で語られていた感情が歌になっている箇所がいくつかありました。例えば「好き好き大好き」という感情がダイレクトに歌詞になっているので、既に知ってる側としては「そこまであからさまに言わないと伝わらない?!」と恥ずかしいのだけど、この歌詞を台詞で言うのはもっと恥ずかしい。歌でないと伝えられない。まさにミュージカルだなぁ、という感じです。

様々なジャンルに様々な人が出演し、異文化交流というか異種格闘技戦というかまぁそんな感じのものから生まれるビッグバン(適当なこと言いすぎて意味がわからない)に期待する部分もありますが、異質なものが入っても変わらない部分が浮き彫りになるという面もあって、それが、そのジャンル特有の「いかにも感」なのかもしれません。いや、本当に自分でも何言ってるかわからなくなってきた。カケラでも伝わるでしょうか。

歌舞伎にしてもミュージカルにしても、初見の人を置いてきぼりにしないことは大切です。だって、その1回目でそのジャンルへの印象が決まってしまい、よくわかんなかったなと思ったらもう2度と観てもらえないかもしれません。
六本木歌舞伎は、本格歌舞伎を見慣れてないジャニオタクラスタにも好評で「また歌舞伎を観てみたい」という感想もよく聞かれました。確かに私も、ストーリーを理解できるかは全く自信ないけど、鳴り物や三味線の音をまた聴きたいなと思いました。

ミュージカルの「急に歌い出す」「死ぬ間際でも歌い出す」を不自然だと感じてしまうと、もうツッコミ入れずに観られなくなるけれど、「歌で人物の感情が伝わる」「(ストーリーはともかく)音楽やダンスで気分が高揚する」など別の面を評価できれば、次もチャンスがある気がします。

色んなジャンルの作品を観ることで、自分が好きな要素は何なのか、何に気持ちがアガるのかが明確になってきて楽しいです。
最近は歌やダンスのあるものばかり観てきたけど、次は剛くんの「空ばかり見ていた」で、ストレートプレイというだけでなく分かりやすさとは対極にあるっぽいのでドキドキしています。大丈夫かなぁ…。

*1:六本木歌舞伎「羅生門」始動、市川海老蔵「三宅健を観ていればいい」 - ステージナタリー

*2:演劇誌やレポには書いていたのかもしれないけど、未見の私が理解できるわけがなく…。文字情報だけで知識を得る限界を感じる。責任転嫁。