インタビューズ:嵐(元担当が嵐のメンバー)から担降りした人へ質問です。その理由をできるだけ詳しく教えて下さい。 また、今でも嵐のコンサートに行っていますか?(行きたいと思いますか?)

嵐さんからV6のファンになったので、担「降り」ではないかもですが。
「できるだけ詳しく」とあるので、自分の記憶の整理も兼ねて理由を書かせていただきます。
つまらない話がダラダラ続いて申し訳ありません。

一番最初に見たジャニーズのコンサートが嵐で、そのままファンになり、FCに入りました。
2004年の初めのことです。
今でも変わりませんが、嵐さんの魅力は5人の仲の良さで、それが私も大好きでしたが、
ファンになったきっかけが「アイドルコンの楽しさ」だったので、
5人の中で一番好きな1人、をなかなか決め切れませんでした。

事務所全体をまんべんなく見ていくうちに、V6にも興味を持つようになりました。
一般で立ち見が取れたのでブイコンに行ってみましたが、
その時は正直、嵐コンの方がファンの熱気がすごくて盛り上がってて楽しいと感じました。
でも、立ち見じゃない席で見てから判断しようと、FCに入ることにしました。
そして、坂本さんのミュージカルを見て、「この人を応援する!」と決意することになるのです。
以降は、坂本さんを中心にV6の番組などを見ていき、ますます好きになり、V6全体が好きになり、
とじわじわ比重が大きくなっていきました。
でも、嵐も今までどおりに応援していました。

2005年、V6がデビュー10周年で、コンサート以外にも映画や握手会やとお祭り騒ぎでした。
おそらく半年以上全力で追いかけて、アニバコンオーラスまで終わった時、
「4年後、嵐さんでまたこれと同じだけ全力で追いかけるのは体力的にも時間的にも無理」
と判断して、V6だけに絞ることに決めました。

複数グループを同じ比重で応援しようとするととんでもないパワーが必要なのと同じく、
グループのメンバー全員を同じ比重で応援するのにもパワーが必要です。
つまり、嵐さんを選ばなかったのは、1人を決めきれないがために、
5人全員を追いかけなくちゃいけないのがしんどくなったから、というのが理由です。

嵐のファンになった当時は、全ステしようと必死になっているコアなファンはたくさんいるものの、
お茶の間の知名度も事務所内のランクもそれほど高くなく、
本人たちは悶々と試行錯誤し、ファンたちは「私たちの嵐」を愛でていた時代だったように
新参者ながら感じていました。
でも、最初のアジアコンをやって、凱旋コンの倍率がとんでもないことになり、
ドーム追加が決まったあたりから、「私たちの嵐」は「みんなの嵐」になっていき、
私たちが頑張って応援しなくてももう大丈夫だよね、という気持ちになったのも事実です。

嵐さん自体に何か物足りなさを感じて降りた、というわけではないので、
コンサートには行けるなら行きたいと思っています。FCもまだやめてはいません。
でも、ツアーの中で1度見られれば良いし、遠征するほど頑張らないという程度にはなっています。
実際、1度見られればラッキーな当選率ですが。
2008年を最後に、嵐コンには行けていません。