インタビューズ:担降りを経て今の担当に行きついた方にお訊きします。あなたに担降りを決意させた瞬間の記憶や印象的なエピソードがあれば教えてください。

嵐さんのグループ担状態から、坂本さんの担当に行き着いたのは、
ミュージカル「NEVER GONNA DANCE」を観たときです。
舞台雑誌で、相手役の紺野まひるさんが坂本さんのことを「惚れてまうやろー!」(注:ニュアンスです)と仰っていたのですが、舞台で歌い踊るミュージカルスタアを観た時に客席から「惚れてまうやろー!」と叫びました(心の中で)。
もともとミュージカルが好きだったのですが、
歌もダンスも出来てルックスも良い、三拍子そろった人がなかなかいなかったので、
この人にミュージカル界でもっと頑張ってもらおう!今後継続してミュージカルの仕事が来るように、V6の活動も応援しよう!という、アイドルファンとしては邪道な動機でした。

グループ担をしていた時は、一人に絞れなかったのがもどかしかったのです。
V6に興味を持ったきっかけが坂本さんと岡田さんの対談記事だったので、
「トニなら坂本さん、カミなら岡田さん」とすんなり絞れて、
そこからミュージカルを見て「ブイなら坂本さん」と決めることができました。

ネバゴナの前年に、既にFCには入っていました。
どちらの名義にするかで悩んでいて、「ファンが少なそうだしと坂本さんにしてあげよう」と心に決めて(失礼すぎる)ブイコンに臨んだのですが、
グッズの写真があまりにも悪くて、しかもコンサートでは曲中トイレにかけこむ小ネタ演出で、
コンサート後にFC用紙に書き込むときには自然と「岡田」に丸をしてました。
それから数年間、ずっと岡田さん名義でした。そういう意味では、岡田さんから坂本さんへの担上がりなのかもしれません。