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フランケンシュタイン

付き人への想いが溢れ過ぎて別記事に分けたので、こちらでは冷静に舞台感想のみを述べようと思います。

グローブ座のみの上演で地方公演が無かったため、グローブ座の怪人になって全ステしたい気持ちは山々でしたが、関西の社会人にはまぁ無理な話なので、入ったのは下記5公演です。
・11/16夜 怪物ヒガシ/博士まー(初日)
・11/23昼 怪物まー/博士ヒガシ
・11/23夜 怪物まー/博士ヒガシ
・12/7昼 怪物ヒガシ/博士まー
・12/7夜 怪物まー/博士ヒガシ

この舞台は、怪物と博士を中心に各キャラクターの行動や心理を紐解きたくなるという面と、ヒガシ様とまーくんさんの役替わりによる違いを語りたくなるという面があって、とにかく観たら考えたくなるし語りたくなる作品でした。
5回も観ておきながら安定の集中力の無さでしっかりとは覚えていないのですが、ぼんやり記憶を頼りに、語りたい衝動を吐き出したいと思います。


<ストーリーについて>

  • 博士は何故逃げ出したのか

ビクター・フランケンシュタイン博士によって創り出されたクリーチャー(怪物)は、身体は成人体型ですが、生まれたては歩き方も分からないくらいまさに赤ん坊です。動き出した怪物の姿に動揺した博士は、自分が生み出した怪物から逃げ出してしまいます。自分が縫合して作ったのだから、怪物の観た目の醜さに驚いたわけではないでしょう。博士は、自分の理論通りに人体が作れることを試したかっただけで、生を受けた後のことなんて想像もしていなかったのだと思います。だからおぞましい容姿でも、作っている時は気にしなかった。動いている姿を見て初めて、この怪物をどうしたらいいのか分からなくなった。例えるなら、不倫相手の男を繋ぎ止めるために妊娠したものの生まれた子供をどうしよう、みたいな感じ?そう考えると、逃げる気持ちも分からなくもありません。

  • 怪物が求める愛の形

美しい妻アガサを愛する夫の姿を見て、怪物は、女クリーチャーと踊る夢を見る。「楽しかったー!これっていい夢か?」とドレイシーに尋ねる怪物。妻を愛し合うことは楽しいこと。でも自分には妻はいない。愛し愛される相手がいないことを孤独だと感じる。でも、ドレイシーとの間に愛情は無かったのでしょうか。ドレイシーは盲目だから、怪物の醜い姿を受け入れてくれたわけじゃない、というのが、怪物が愛を実感出来なかった理由のようです。博士の妻・エリザベスは怪物の姿を見た上で、逃げ出さず、お友達になりましょうと言った。怪物にとってエリザベスは唯一自分を受け入れてくれた人物です。そして、怪物を追う博士にも、自分を避けていないというだけで喜びを感じています。ドレイシーの息子夫婦を影で助ける自分は善人なのに、誰からも愛されず親である博士からも捨てられたのはこの醜い容姿が原因、と考える怪物が求める愛の形は、自分を見てもらうことにあるのです。ラストシーンで怪物は、博士とハイキングし語り合うのを夢見て彼を探した、と言います。結局博士を探し出したのは復讐心からだったけれど、日記から名前を知った時には彼に会いたいと夢見ていて、それは妻を求めるよりも先に芽生えた愛なのでしょう。

  • 「怪物」という先入観

息子夫婦は怪物が善人だなんて知らないのだから、その姿を見て父親やお腹の子に危害を加えるのではないかと過剰防衛してしまったのは、仕方ないことでしょう。ドレイシーが怪物を受け入れたのはその醜い容姿が見えないから。エリザベスが受け入れたのは、怪物がビクターが作り出したものだと知ったからです。ドレイシーの言うように、慈悲の心があれば受け入れられるのでしょうか。しかし、怪物の姿を見て怯えない人はまずいないと思うのです。ではどうすれば息子夫婦に怪物は受け入れられたのか?ドレイシーが怪物の存在を事前に彼らに伝えていれば、家に見知らぬ存在がいてもあそこまで驚かなかったのではないでしょうか。容姿という先入観は、私たちの対人関係においても重要です。怪物に遭遇することはないにしても、容姿に難のある人に対して、自分は何かしらの先入観は無いだろうか。同時期に上演された「鉈切り丸」では森田さんが、醜く産まれ母に捨てられた過去を持ちながらも天下を目指す悪役を演じていました。ジャニーズ事務所のタレントさんは容姿を武器とする人たちなのに、そんな彼らが醜い役を演じるというのが面白いです。

  • ひもじい

ドレイシーから言葉を教わっていく怪物は、自分が何故ひもじいのか?と問います。答えは簡単で、怪物を養育している人が誰もいないからです。自ら収入を得る手段の無いものが何の保障もなく放り出されたらひもじいに決まっています。親がいても、経済的に困窮している家庭で育てられた子は困窮するのが常です。いい年をして親に頼りきりの子供もどうかと思いますが、子が自立するための環境作りをするのは親の役目なのだろうなと考えてしまいました。

  • 博士は愛を知らないのか

愛を知っている怪物と愛を知らない博士、という対比で語られる作品ですが、果たして博士は愛を知らないのでしょうか。
「幼い頃はこんなじゃなかった」ということは人体製作には何かキッカケがあるのでは、それは母の死ではないのか、と考えることも出来ます。でも私だって、人体をどうすれば作ることが出来るのかには興味があります。実際に研究を進めるには知能と根気が足りないので諦めていますが、どうやって作ったのか博士にあれこれ質問したいくらい。だから単純に知的好奇心が倫理感に勝っただけではないかと思っています。
弟が行方不明になった時の取り乱し方は愛情でしょうか。これはまだ自分の中で整理できていません。
エリザベスのことは愛していたのでしょうか。舞台脚本では判りませんが、原作ではエリザベスはビクターの母が引き取ってきた娘で、ビクターは幼い頃から従姉妹のようにして共に暮らしてきています。母がエリザベスとビクターの結婚を望んだのは、エリザベスを可愛がっていたからです。ビクターは結婚を断る理由もなく、しかしエリザベスに対して恋愛感情を抱くことが出来ていたかは怪しいところです。家族愛と恋愛の違いを分かってなさそうな気もします。

  • エリザベスの立場

初日で感情移入して観たのはエリザベスでした。エリザベスは、ビクターが人体製作の研究に没頭している間、家で引きこもっている間、ずっとビクターとの結婚を待っています。やっと部屋から出てきたかと思えばまた、女クリーチャー製作のため結婚を待ってくれと言われる。7年待てたんだからもう少しくらい待てるだろう。女に仕事(研究)のことなんて分からない。だって私は教育を受けさせてもらえなかったから!仕事で成功したらって言って、いつになったら結婚できるのよ!馬鹿!(私情)原作は相当昔の作品ですが、これはまさにジェンダー問題です。女性作家だからこその視点でしょう。
ハハーン、研究とか言って余所に女がいるのね?と思っていたら、怪物がやってきて、私はあなたの夫に作り出されたのだ、あなたの夫はいい人だ、と言うではないですか。「いい人」じゃなくて「凄い人」なのではと思っているのですが。結婚が先送りされた原因は女ではなくこの怪物でした。エリザベスは怪物を受け入れます。愛するビクターが生み出した存在だから。同じ人間を愛している仲間だから。同担拒否じゃなく同担歓迎。このシーンを観ながら何故か、白い巨塔の若村麻由美と黒木瞳を思い出していました。


<役替わりについて>

ストーリーで気になった点を真面目に語っていたものの案の定ボロが出てきたので、こちらは気楽に書きます。

最初この企画の話が来た時ヒガシさんは、役替わりなんて大変だから自分が怪物役、まーくんさんに博士役をさせようと考えていたそうです。ヒガシさんは、変身願望から怪物役に非常に興味を示していました。初日はこちらのバージョンだったので、取材が入る初日リハも怪物ヒガシverでした。確かに、万人に訴える美しい40代・ヒガシさんの怪物姿はインパクトのあるものです。でも、怪物姿でも美しいんですよ!頭や顔に特殊メイクをしていても、顔の下半分が整いすぎているのです。ビクターまーが「こんなに醜く作ってしまって」みたいなことを言うのですが、いや!全然醜くないよ!君にそんなこと言われたくないよ!と言い返しそうになりました。
対して、こちらも美しい40代のはずのまーくんさんですが、怪物まーくんさんはホントに醜い!美しくない!怪物ヒガシさんと比べるからダメなのでしょうか。

まーくんさんはヒガシさんに憧れてきた人だし、ヒガシさんと同じく美しい40代だしストイックだしスタイルいいしダンス上手だし(書いてて自信がなくなってきた)同時に演出されてるんだから役替わりでも似たような怪物/博士になるんじゃないかなと思っていましたが、全然違ってビックリしました!

怪物ヒガシはとにかく美しく、教養を身につけることを喜んでいる様子でした。「私は教養がある」って怪物に言われても、そうだね!って素直に納得する感じ。復讐鬼になってからは美しさ倍増です。
怪物まーは美しくないし、お勉強もそんなに好きじゃない。一応記憶力は良いから暗唱は出来る。生まれたては本当に赤子だし、ドレイシーに出会った頃は幼児。ひーもーじーいーと駄々をこねる姿も、ゆき!ゆき!と喜ぶ姿も幼児。あざといくらいに幼児。裏切られた怒りから家を焼き討ちにするけれど、ターゲットが博士になってからは急に鬼気迫る感じ。成長著しいです。

妖精?と言われてお姫様ポーズでお辞儀するシーンがあるのですが、二人とも同じようにお辞儀しているのに、怪物まーくんさんはぶりっ子すぎてヒィーと叫んでしまうのに対し、怪物ヒガシ様は見た目通りの淑女っぷりだからそのまま納得してしまいました。
大きな木のスプーンでドレイシーに出された食事を食べるところで、怪物まーはコップもスプーンで飲もうとして何度やっても入らず諦めていたのだけども、怪物ヒガシはスプーンではダメだと気づいて口を付けて飲むことが出来ていました。

博士ヒガシは若々しくて、才気走っている印象を受けました。不思議なことに怪物ほどの美しさは感じませんでした。弟やエリザベスの死で怪物に対して素直に憤りを感じている様子を受けました。
博士まーは、初日は少女漫画に出てきそうな茶髪外人でした。引きこもりなので頬はこけて目は落ち窪んでいたのですが、それすら美しい(個人の感想です)。なぜエリザベスがビクターとの結婚を望むのかが理解しがたかったのですが、美しいからだろうなと納得しました。なぜか初日から10日ほど経ってヒゲを生やすようになりました。ヒゲ博士は変人度とクズ度が増していたので、そういう役作りだったのかもしれません(と納得させました)。自己中心的で、メイドに変人と罵られるのも仕方ありません。この博士は愛情なんて理解できなさそうです。女クリーチャーが作れるか?と挑戦されてニヤリと笑うところとか、ほんとひどいです。

パンフレットで、ヒガシさんは怪物も博士も共感すると語っていましたが、まーくんさんはどちらも共感できなかったようです。インタビューは本格的に稽古が始まる前のものだと思うので、本番までにどうなったか分かりませんが、まーくんさんは結局共感できたのでしょうか。

舞台でヒガシさんを観るのは初めてでしたが、TVで観ていた印象とあまり変わりませんでした。稽古で先陣切ったりいきなりドラム叩いたりするくらいだから大仰なパフォーマンスになるのかなと思いきや、真面目に役作りをして真面目に表現されているように感じました。
まーくんさんは怪物くんをやらせるとあざといくらいに幼いし、博士は石を投げたくなるくらいにクズだし、でも心地よいくらい振り回されました。稽古場レポでは、ヒガシさんのアイデアをふんわり受け止めて「じゃあこうしましょうか」と返すって聞いてたから、もっと受け身な演技なのかなと思ってたのに、全然攻めまくってるじゃないですか!大変失礼な話ですが、ストレートプレイではいつも、ちゃんと演技出来るかな?また変な台詞回しの癖が出たりしないかな?って心配になるのです。ミュージカルスタアとしての実力は信頼しているのですが、演技力があるのかどうかがいつも分からなくて、識者の方々が演技を褒めて下さる記事を毎度こそばゆい気持ちで読んでいました。でも今回は、うまく説明できませんが、本当に舞台役者さんなんだなぁと実感しました。舞台で輝く演技。歌っていなくても全然大丈夫だった。

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ラストシーンは、妻を殺した怪物とそれを追う博士が北極を目指す2人芝居です。博士と怪物は、最初は主人と奴隷とも呼べる関係でしたが、2人で北極へ向かってからは逆転します。博士が怪物を睨み上げる屈辱的な目が、下剋上を物語っています。しかし、力尽きそうになる博士に怪物はこう呼びかけます「逝かないでくれ!一人にしないでくれ。お前と私、二人で一人なんだ!」怪物は、博士に復讐したいけれど、博士を失いたくはないのです。全く正反対の二人が、関係性を変えながらも二人きりで生きていく姿には、言葉が出ませんでした。

二人芝居のシーンは怪物と博士の張り詰めた空気感で息詰まるものでしたが、これを二人で自主練していたんだなと思うと、そりゃあ楽しかったんだろうなと…。もちろん楽しいシーンじゃ全くないですが、演技者として絶対面白いですよ。初日のカーテンコールは、あのラストシーンにも関わらずニコニコで(主にヒガシさんが)、何故か悔しい気持ちになりました。きっと緊張が解けたんでしょうね。
まーくんさんもグローブ座だけで終わるのを残念がっていましたし、また演れるといいですね。やっぱりフランはヤバかったです。