11/1を過ぎての素直な気持ち

2021/11/1、V6の活動が終わりました。
ずっと実感がなかったけど、その日を過ぎてもやっぱりまだぼんやりしています。ブイ担には残された宿題*1がいっぱいあるからな。
pritznn.hatenablog.com
解散が発表された直後、一般的なブイ担と同じ反応ができない戸惑いをブログに書きましたが、気持ちを整理するために、今時点の気持ちも書いておこうと思います。ネットに公開しておいてなんですが、こんな奴もいるんだなと流していただければ幸いです。

  • リーダー

なぜかずっと全然泣けなくて。ライブを生で観ても、番組出演が終わっていっても、11/1のライブ配信を見ていても涙が出なくて。
ファン人生ずっと終活してきたようなものだったから、「さみしい」という感情よりも「納得」の方が強かったからなのかもしれないけど、それにしても。
そんな私が唯一泣いたのが、まーくんさんの挨拶。「リーダーと言われて、頑張って、でも出来なくて、ごめんなさいして。」のくだり。
私がまー担になったキッカケは主にはミュージカルなんだけど、2004年に最初にまーくんさんを見た時に「この人、リーダーやるのしんどそう」と思ったのでした。私もリーダーに向いてないのにやらされることが多くて、ごめんなさいできなかったり、ごめんなさいしても聞いてもらえなかったり、リーダーをやるたびに疲弊していました。2004年まではまーくんさんがライブの演出構成を一人で考えていたと何かで読んで「抱え込みタイプじゃん」と共感したのでした。2005年以降、他の人に任せることができるようになったようで、近年では「リーダーはニックネームです」と開き直るようになりました。それは分かっていたのだけど、ごめんなさいしたのはリーダーを任されたデビュー会見の直前だけ*2だと思っていたから、「その後にもごめんなさいしたんだ!」とびっくりして、ファンになったキッカケとか自分の辛かった記憶とかいろいろ思い出して、涙が出てしまったのでした。
私はV6だけでなくアイドル全般に対して、パフォーマンスや楽曲よりも、人間性や考え方に関心を持つ傾向があるので、一連のあれこれにおいても、曲を聴いて何かを感じるというよりは、メンバーのコメントに考えさせられることの方が多かった気がします。だから、曲や歌う姿ではなく、挨拶で初めて感情が揺さぶられたのだと思います。

  • 家族

ごーくんがプロデュースした「家族」という楽曲。「血のつながり関係なく 俺たち家族」という歌詞に「家族ってV6のことじゃん~~」と感激するファンの反応が多かったのですが、私は以前にメンバーが言っていた「V6は家族とも違う関係」という言葉をうけて「家族≠V6」と定義づけしていたので、「V6のことと思わせておいてやっぱり自分の家族のことなのでは…*3」と思ってしまったのと、改憲問題で「家族」という単語にアレルギー反応があって素直に受け入れられないな、という複雑な気持ちもありました。
楽曲の解釈については聴き手に委ねられているので、それからずっと考えていたのですが、一つの答えを導き出しました。確かにV6のメンバーは法制度上の「家族」間の関係性とは違うし、血のつながりもないけれど、信頼感とか人生における影響度はかなり強くて、そういう関係も広い意味での「家族」と言えるのではないか。もしかして6人だけでなくファンもひっくるめて「家族」と言っているのかもしれません。
現行法では「家族」と認められていない人たちでも、実質「家族」としか呼べない関係性もあるし、逆に戸籍上は「家族」でも実体が伴わないケースもあるよな。おそらくこの楽曲とは全然関係ないけれど、そんなことを考えさせられました。

  • ライブを生で見るということ

今回のツアーは、地元大阪の1公演だけ入れました。
チケット申込をした7月は絶賛コロナ禍で、県境をまたがる移動はお控えくださいとアナウンスされている時期だったので、お隣の大阪に行くのも怖い(特に大阪は感染爆発していた)という状況でした。
当初は100%収容ができなくて、その状況で1回でも入れたのは本当にラッキーでした。普段はお友達と複数枚取って同行しあっていたので、遠征も含めて何公演か入れるのが普通でしたが、今はそれも難しく。最後のツアーなのに1公演も取れなかったと落胆している方も多い中で、自分は無理して増やす必要もないかなと思い、特にチケット探しは頑張りませんでした。
あと、8月に右眼の手術をして視力が完全には戻っていなかったので「自分の目で見る」ことに意欲が湧かなかったというのもあります。
私と同じく、仕事や家庭や体調やコロナの問題で申し込みや遠征をためらった方も少なくなく、「以前と同じようにライブツアーを楽しむ」のは当たり前じゃないってことを実感しました。

11/1のライブ配信はもちろん見ました。1曲目の「雨」の映像がモノクロ加工されていました。現地に行けない代わりに配信を見ている側としては、加工なんてせずに現場で見えているままの色で見せてくれ、という意見もあり、それはとても理解できましたが、私は「雨」は弔いの曲だと思っていて、モノクロ加工によって客席のペンライトが白いろうそくのように見えたので、この曲に合っているなと感じました。

解散の話題になると思い出すのが、SMAP27時間テレビです。突如報道された「SMAP解散」のニュース、その噂の出どころを追っていくドキュメンタリータッチの映像から始まり、映像が終わるとスタジオではSMAP生前葬が行われているという演出でした。そして27時間のラストはノンストップライブ。ライブ後には脱退メンバーである森くんからの手紙が読まれました。
この27時間テレビの企画構成にSMAP自身がどれだけかかわっていたのは知りませんが、「今まで見たことないものを見せる」「最後はライブで盛り上がる」というのはジャニーイズムを感じるし、最高にショーアップされたイベントだったなと心に残っています。

私は、ラストライブは葬式のようなものだと考えていました。棺に自分の好きなものを詰めて、好きな曲を流してもらって、みんなに笑顔で見送ってもらおう、そんな風に受け止めていました。最後を笑顔で締めるのはミュージカルっぽい。コロナ渦になって、親戚知人を全国から呼び寄せての従来通りの規模の葬式はしにくくなりました。コロナ前に亡くなったジャニーさんは、病床にタレントたちがお見舞いに行けたし、タレントほぼ勢ぞろいでの葬儀もできたし、東京ドームで一般の方向けにお別れ会もできましたが、コロナ禍で亡くなったメリーさんは家族葬でした。葬儀に集まった人たちで故人の思い出話に花を咲かせたり、葬儀に参列できた人もできなかった人も、ふとした瞬間に故人のことを思い出す。見送るってそういうことだと思っています。
だから、葬式を多ステしたい気持ちにはなれませんでした。そんなに何度も深く心に刻みつけて、耐えられる自信がありません。生のライブ会場は、映像では感じきれないパワーがあります。そのパワーを浴びる気持ち良さもわかるし、でもパワーが強すぎて受け止めきれずに弱ってしまう自分もいます。1回も入れなかったら心残りになりそうだとは思いましたが、2回以上見れなくても化けて出ることはないなと思ったので、1回で納得できました。

  • 「よかったね」

上では葬式と言いながらも、私自身、解散についてはそこまでネガティブには捉えていませんでした。
ジャニーズでは脱退・退所したメンバーのことを語るのはタブー扱いされてきた経緯がありますが、同じ事務所じゃなくなったというだけで共演NGどころか名前すら口にしてはいけないってどういうことなんだよ、と憤慨していました。先に書いたSMAP27時間テレビのラストで森くんからの手紙が読まれた話、私はSMAPのことは茶の間でしか見てきませんでしたが(だからこそかも)「オートレーサーになりたい」というまっとうな理由で脱退・退所した森くんの存在を頑なに隠し続けることに、ずっと苛立っていました。一般人になったからという理由だけでは、過去映像に映るすでに事務所にいないJr.たちの説明がつきません。
これはそういうものだから仕方ない、と受け入れられるほど私は素直ではありません。そんなこと言っているから「女は結婚して家庭に入って夫の名字になり出産・育児をしてこそ一人前」という固定概念が崩せないんだ、と全く違う方向に怒りが爆発してしまいます。
「解散して6人のわちゃわちゃが見られなくなるのがさみしい」とばかり言うのではなく「解散してもわちゃわちゃできればいいんでしょ!」と思っていました。
だから、11/2深夜0時から始まった健くんのラジオに酒を持ったイノとひろしが乱入してきてわちゃわちゃが始まったことに、手を叩いて喜んでしまいました。これでいいんだよ!
一番情緒がありそうな健くんもごーくんの名前を口にしていたし、それでいいんじゃないかなと思います。
みのさんが「V6は解散しても同窓会ができるグループ」と言っていて、理想的だなと思いました。だって死ぬわけじゃないんだし!

そんな情緒の足りない私でも、「僕らはまだ」の特典映像において、解散を発表した後の周りの反応を聞かれたごーくんが「『おめでとう』と『触れちゃいけない』の2つに分かれたけれど、だいたいが『よかったね』っていう前向きな答えだったかな」と語るのを聞いて、「解散を『よかったね』とは???」と引っかかったのでした。この言葉に引っかかったという話を周りで聞かなかったので、また私だけ解釈違いを起こしてるようだ、と察して当時は発言しなかったのですが、皆さんはどのようにこの言葉を受け止められたのでしょうか。できれば形を変えながらでもV6を続けてほしい、というのが私の一番の願いだったので、「解散=よかった」という表現は私には受け入れがたかったのです。しかも、解散の発端がごーくんの退所だということもあって「退所=よかった」とも捉えてしまい、私が元々ごーくんの舞台仕事の少なさはジャニーズ事務所所属だからではと呪い続けていたこともあって、いやいや本人からそんな正直に言われましても、と思ってしまったりもしました。
でも、冷静になって考え直してみると、「おめでとう」は「ご卒業おめでとう」のニュアンスで、新しい世界に踏み出すことを祝う前向きな言葉なので、前向きな言葉として「よかった」という類の言葉をかけられた、というつもりで話したのだと素直に受け取ればよかったのだなと思います。すみません、ソウルジェムが濁っていたもので…。

  • 解散への向き合い方

結局、なぜ自分が泣くほど寂しがっていないのか、という理由は分からないままです。
ひろしが「メンバーとは2~3ヶ月会わないこともあったから、まだ実感がない」みたいに言ってましたが、ブイコンも2~3年間隔でしかやらないし、6人でわちゃわちゃする姿も年に数回雑誌や音楽番組で見る程度だったから、見れなくなったという実感がまだ湧いていないだけなのかもしれません。
本人たちも最後まで笑顔でしんみりさせたくなさそうでしたし、これでサヨナラになるわけじゃないよねという期待もこめて、「バイバーイ!またねー!」と笑顔で手を振りたい気持ちなのかもしれません。
トニセン活動は継続するので、トニセンで曲を出したりMステに出たりすることもあるのかなとぼんやり思っていたのですが、あんなに盛大に見送られたら出にくくなっちゃうなと感じました。それでも「YOU、出ちゃいなよ」って言われたら、「えへへ~、帰ってきちゃいました~」って出そうな気もしますが。

これまで、V6がいることが当たり前だと考えたことはなくて、光GENJISMAP、滝翼、少年隊、TOKIO、KinKi、嵐、とにかくいろんなグループの姿を見ながら、どういう形でなら続けられるだろう、自分はどういう形でいて欲しいと思っているのだろう、と考え続けてきた16年間でした。
他のグループのことなんて知らない、自分の好きなグループがいてくれればそれでいい、という応援の仕方もあるでしょうが、私は彼らの置かれた環境や動向を把握したうえで、彼らがどのように考えて活動するのかを見ていきたい気持ちが強いので、他のグループやJr.のことも広く浅くですが見るようにしてきました。
私の思考の癖として、「〇〇して欲しい」と自分の希望を出す前に「なぜ〇〇が出来ないのだろう、できない原因はなんだろう」と考えて、自分なりの原因を見つけて納得してしまうと、それならできなくてもしょうがないなと勝手に諦めてしまう傾向があります。原因が分かっても、その上で自分の要求を提示することは無駄ではないのに。相手に無理させちゃうのが申し訳ない、それなら私が我慢すればよい、と思ってしまいがちなのです。これは悪い癖だと分かってはいるのですが。
バカなふりして「代々木使えませんかね」って何度も聞きに行ったみたいに、私も「どうしてもV6を続けられませんか」って言えたらよかった。しょうがないな、って納得してしまった。さみしいという気持ちを飲み込んでしまった。
ライブももっと見たいって言えればよかったな。私よりもずっと本気で見たい人がいるだろうし、私は見れなくても死なないから…って我慢しちゃった。

「V6という存在はまるで2次元のようで、私にとってその物語の主人公は健くんなのです。」と20周年の時のブログに書きましたが、この解散を、V6という物語の連載が終了したというくらいに考えています。これからはメンバー個人やトニセンとしての物語が続いていきます。どこかで特別編が作られるかもしれないし、「新V6」「劇場版 V6」とか「V6 THE MUSICAL」とか「ジャニーズ伝説~V6~」とかができるのかもしれません。(何を言っているのかわからなくなってきた)
ライブの挨拶でまーくんさんが「新しい目標ができました。またこの景色を見るために頑張っていきたい」と語っていましたね。どんな形になるか、いつの話になるかは全くわかりませんが、みんながV6のことを覚えている限りV6は存在するので、V6新シリーズの連載が始まる日を楽しみにゆっくり待っていようと思います。

*1:シングルのシリアルナンバーを集めて全サを申し込まなきゃいけないし、1カ月限定のV-Landに入国して26年間のアーカイブを見倒さないといけないし、ラストスパートの怒涛の供給を処理しないといけない

*2:事務所の人に「坂本がリーダーで」と言われたけど自信がなく、会見の直前にイノに「リーダー代わって」とお願いした件。

*3:ごーくんは子供と血のつながりがないため