2021年振り返り+α

「こんな年になるなんて思ってもみなかった」と言いたくもなる1年でした。*1
オタク的にもプライベートもいろいろあったので、まずは時系列で振り返ってみようと思います。

1月:
雪組fff トップコンビ退団

2月:
24日 右手首を骨折

3月:
1日 手首にプレートを入れる手術
6日 Oslo
12日 V6解散発表
31日 長瀬智也退所・TOKIO脱退

4月:
エリザベート宝塚25周年ガラコンサート(GWは無観客配信)
JUMP無観客配信ライブ 岡本圭人脱退

5月:
スリルミー(大阪公演中止、配信)
月組桜嵐記 トップコンビ退団

6月:
ブロードウェイと銃弾(観劇は見送り、配信のみ)

7月:
宙組ホームズ

8月:
1日 光一ソロコン
16〜20日 目の手術・入院(黄斑円孔)

9月:
12日 V6コン
23日 ナイツテイル
26日 赤シャツ

10月:
10日 ドンジュアン

11月:
1日 V6解散
花組月組100周年コンサート

12月:
30日 坂本昌行結婚


例年は現場振り返りのブログを書いていましたが、コロナ禍になったのもあり、そうでなくてもいろいろひっくるめないと振り返れない年でした。V6の解散という大イベント(?)が軸にありつつ、他にもいろいろあるし、自分の身体も追いつかないしで、バタバタしている間に終わっていました。

退所と脱退と退団と解散

以前にも書きましたが、ジャニーズにおいてメンバー脱退や退所はマイナスに捉えられがちなので、退団イベントが頻繁に発生する宝塚を履修するようになりました。
2021年も、ずっと見守ってきた月組トップコンビと雪組トップコンビ、花組トップ娘役さん、私が宝塚を初めて知った時から在籍されていた専科の轟さんなど、たくさんのタカラジェンヌが退団しました。
宝塚は入団と退団と組替えを繰り返して組の構成メンバーも雰囲気も変わっていきますが、(今のところ)解散はしません。ご贔屓が退団して宝塚の舞台にタカラジェンヌとして立つ姿を観れなくなることを、自分はどう受け止めるのか。
しかし、よく考えると私はヅカオタである前にミュージカルのファンなので、宝塚を観ながら「退団したら〇〇に出てほしい」「〇〇さん(外部のミュージカル俳優)と共演してほしい」と考えていたのでした。退団してもさみしくない!むしろワクワクしている!
実際に、宝塚OGさんたちは様々な作品に出演してくださるし、OGコンでは学年も組も超えて集まって懐かしい姿を見せてくださったりもする。
V6が解散発表した3月も、解散した11月も、直後に宝塚のOGコンがあったため、「V6は宝塚」と思い込むことによって「ご卒業おめでとうございます」なメンタルを保つことができました。

私はジャニオタである前にミュージカルのファンなので、ジャニーズのことを「歌えて踊れて芝居ができて見栄えの良いミュージカルスターを輩出するのに最適な組織」と認識していることは否定できません。グループ活動も楽しく見られるけれど、外部ミュージカルに出てくれるととても嬉しい。
だから、グループや事務所への執着度合は、宝塚への執着とあまり変わらないのかもしれません。辞めてもOGコンならぬOBコンをやればいいじゃない、と思っているふしがある。
他のV6ファンの皆さんと比べると、自分のあっさり具合に戸惑ってしまうのですが、皆が同じように感じなくてはいけないわけでもないので、自分なりに受け入れた結果だと思うようにしています。

とは言えジャニオタなので、年末のジャニフェスやカウコンはしっかり楽しみました。この手の事務所イベントや音楽番組にV6が出るかどうかで一喜一憂しなくてよくなったのが、正直言うとものすごく楽!自担が出ていたらセクシー選抜に投票せずにはいられなかっただろうし、選ばれなかったらモヤモヤしていたかもしれない。私は王子選抜は大我くんに投票しました(FNSでTONIGHTを歌う大我くんを見た直後だったから)

後世のために時系列を記録しておくのだけれど、グループの今後についての話し合いを始めたのは2019年の春頃。解散を発表したのは2021年3月12日。2020年の25周年無観客配信ライブをやる時点では既に解散を決めていました。オカダがメンバーの写真を撮っていたのは1年半〜2年くらい。まーくんさんが膝の手術をしたのは2019年9月(カノトイとトニディナーショーの間)。完治まで2年かかると言われていたらしい。
ちなみに、シングルのナンバリングが始まったのは2019年1月発売の50枚目シングルからです*2。そして、嵐の活動休止発表も2019年1月。ジャニーさんが亡くなったのは2019年7月です。

自担の結婚

ついに!この日が来た!!
自担が結婚したらショックを受けたり会社を休んだり担降りしたりするのが一般的かと思うのですが、ファンになって15年強、あまりに長すぎて、その間にいろいろありすぎて、「ついに!」という感情しか残っていませんでした。
いろいろの話は置いておいて、このご時世的な話をすると、コロナ禍真っ最中なので「同居家族以外とのマスクを外しての会話や会食は避けましょう」という呼びかけがあるじゃないですか。例えば東宝だと「2人以上での外食は禁止」というルールが出演者に課されているため、マネージャーと2人で個室で食べるのもダメってどう思う?!と光一さんが文句を言っていました(全ての公演が同じルールかはわからないけれど)。感染者が1人出ると即クラスターに発展しかねない演劇界がピリピリするのも理解できます。コムさんもバリバリの舞台俳優さんなので、まーくんさんが原因で同居家族以外からの感染とか濃厚接触者とかになったらどうしよう、微笑ましく交際報道なんてされてる場合じゃないわよ、という理由でピリピリしていました。いっそのことさっさと名実ともに同居家族になってくれ、という思いが強かったため、ショックより安堵の方が断然大きかったです。心の準備ならもう15年以上してきた。
本人の選んだ方なので、お相手についてとやかく言うのはナンセンスなのですが、私はこのために宝塚を履修し始めたのではと思うくらいのナイスタイミングでした。解像度がすごい。今となっては、くれぐれもコムさんに失礼のないように!という意識になっています(トップ男役第一主義)。私が宝塚で推しているれいこさん*3も、そらぴ*4もコムさんが尊先なので、すごい縁だな…と思いながら、うちの自担がどうもすみませんと頭を下げる日々です。
改めて説明する機会もなかったのでもう少し縁について語ると、私がまー担になった大きなキッカケは「NEVER GONNA DANCE」で、演出は植田景子先生(宝塚歌劇団)相手役は紺野まひるさん(元雪組娘役トップスター)だったのですが、景子先生演出・コムさん・まひるさんコンビの「アンナ・カレーニナ」という名作があったり、コムさんとトップコンビを組んでいたのがまーちゃん(舞風りらさん)でコムまーと呼ばれていたりしたのですよ。

健康について

コロナにこそ罹らなかったものの、さんざんな年でした。
右手首の骨折は、プレートを付ける手術をしたおかげで意外とギブス期間が短かったのはありがたかったのですが、オタクとしては、声を出せない現場で拍手すらできないという無力感を味わったのは大きな経験でした。舞台現場は元々発声しないし、ライブ現場もファンの年齢層が高いと発声より拍手が多い傾向にあるので、声を出せないことにさほど不自由さはなかったのです。拍手ができないのは本当につらかった。Osloはストレートプレイなのでカーテンコールの拍手だけでしたが、ミュージカルだともっとつらかったでしょう。ちなみに、骨は元通りになりましたが、プレート除去手術を先送りにしているので、まだ終わっていません。
黄斑円孔はあまり耳なじみのない病名だと思いますが、専門的な説明は難しいのでここでは割愛します。元々、右目は昔に網膜剝離をやっていて、その後もゴミみたいなものが浮かんで見えたり、白内障と言われたりで、見づらいのは当たり前でした。コロナ渦になってコンタクトをつけず家用の眼鏡で生活しており、しばらくして右目が見づらくなっていることに気づきました。コンタクト購入時の検査でも、人間ドックの視力検査でも、やっぱり右目だけまともに見えなくて。度が合ってない眼鏡のせいか白内障のせいかと思いながらも、ちゃんとした眼科で診察を受けなくてはいけないなとは思っていたのですが、その矢先に骨折してしまい後回しになっていました。重い腰を上げて眼科に行ったところ「黄斑円孔」などという病名が付き、手術して1週間入院が必要と言われてかなりビビッてしまいました。(網膜剥離は日帰りのレーザー手術だったのと、白内障手術も日帰りなので、その程度の気持ちだった)
手術後の1週間うつむき姿勢でいたり、穴をふさぐために注入したガスが抜けるまで1カ月近くかかったりしましたが、穴は綺麗にふさがりました。しかし、まだまともに見えるようにはなっていません。黄斑円孔とはまた別の原因が疑われるが、明確な治療法はない、というショッキングな診察を受けてしまいました。
右目が見づらくても困らなかったのは、利き目が左目だから。しかし、左目も黄斑円孔の予兆があり、戦々恐々としています。右目が見えるなら予防的に手術することもできるのですが、まともに見えないので、今左目を手術すると、両目とも見えにくい状態になってしまいます。左目が進行しないことを祈りつつ、右目の改善を祈る、という神頼みの状態です。
観劇が趣味でネット依存の私が、目が見えなくなったらどうしたらいいのか、途方に暮れてしまいます。いや、普通に生活に支障が出て困るのですが。
こんな感じで病院漬けの1年でしたが、今の私の仕事は比較的休みが取りやすく、気兼ねなく通院も入院もできたのが不幸中の幸いでした。前職だと、病気や怪我だから仕方ないよとは言ってもらえそうですが、仕事の引継ぎや通院できる日を考えるだけでストレス過多で具合が悪くなりそうです。


自分の健康状態があんまりだったこともあり、推しが健やかに過ごしてくれていればそれだけでいい、と広い心で受け止められるようになった気がします。
怪我や病気をおして仕事を続けることが美徳とされていた時代もありましたし、仕事に穴をあけることを申し訳なく感じる気持ちもとてもよくわかるのですが、今はしっかり療養してほしい気持ちが強いし、療養できる環境にあることの方が安心できます。継続することだけが偉いわけじゃない。止まることも変わることも大事。とにかく皆さんの心身が健康であってほしいなと思っています。

*1:この言葉の元ネタは、宙組アナスタシアの「まさかこれが最後になるなんて、思ってもみなかった」という名台詞

*2:ナンバリングされた50thSG〜53rdSGのシリアル番号を全て集めると記念品がもらえるキャンペーンがあった

*3:月組トップスター・月城かなとさん

*4:雪組男役スター・和希そらさん