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東京公演(3/20昼)と兵庫公演(4/4昼)を観ました。
「るつぼ」はこれまで何度も上演されていますが、私は今回が初見です。あらすじは読んでいたものの、初回の観劇時にパンフレットを買って開演前に目を通していたところ、ネタバレの気配を感じたためあわてて閉じました。基本的にネタバレを意識して回避するタイプではないのですが、処刑されるかどうかは知らずに見るべきだと判断しました。これはネタというよりオチだと思ったのです。
「1692年にマサチューセッツ州セイラムで実際に起きた魔女裁判」が題材なので、事件の経緯や時代背景、キリスト教の知識があった方が理解の助けになると思いますが、私はどの作品でも予習はしないタイプで、今回も作品のあらすじ以上の知識は仕入れずに臨みました。案の定、初見では理解が追いつかない部分が多々あり、2回目を観てもまだ分かったとは言い切れません。
そもそも「魔女裁判」や「悪魔」が何なのか分かっていない。悪魔に魂を売って魔女になった(とされた)者が処刑されるのが魔女裁判だと思っていたけれど、悪魔に会ったと告白すれば処刑を免れると言われて、全然意味がわかりません。きっと私が勘違いしているのだろうとこれを書きながら「るつぼ あらすじ」で検索して見つけたこちらのブログを読みましたが、私の思っていた話と少し違っていて、余計に意味がわからなくなりました。
理解が追いつかなかった部分は脚本を読むべきなのかもと思いましたが、さしあたり検索して見つけた論文で記憶の補足をしつつ、印象に残ったことを記録しようと思います。演劇ではなく映像作品であれば、もう少し状況が説明されて分かりやすいのかもしれないと感じましたが、映画もあるようです。まーくんさんがパンフレットで挙げていた「ジョン・プロクターは悪役」は2025年の第78回トニー賞の演劇賞にノミネートされていました。
まーくんさん演じるジョン・プロクターは主人公であり、農夫ですがセイラムでは名の通った人物であるようです。権力者たちにも臆さず立ち向かう力強さがある。ジョンは働き者で妻にも優しく振舞おうとするが、ギクシャクしてしまう。それは自分のアビゲイルとの不義を赦してくれないからだと妻をなじりますが、完全に逆ギレです。いじめてごめんなさいって謝ったのになんで許してくれないの?!と言われたところで、いじめるような人間と仲良くはできません。しかし、妻のエリザベスは一方的にジョンに腹を立てているわけではなく、ジョンがアビゲイルに揺らいだのは産後に自分の体調が悪くジョンの性欲を満たせなかったこと(という言い方はしていないがおそらくそういうことだろう)が原因にあると考えています。アビゲイルの雇い主はエリザベスなので、解雇宣告をしたのはエリザベスであり、アビゲイルは色んな意味でエリザベスを恨んでいます。こちらも逆恨みですね。まぁでもまーくんさんの姿をしたジョンに一度でも求められたら10代の女の子の認知が歪んでしまうのはわからんでもありません。
裁判でアビゲイルを訴える流れでジョンが「姦淫(かんいん)の罪」を告白するのですが、「かんいん」を「姦淫」と漢字変換できて「姦淫」の意味がわからないと取り残されます。十戒を唱えるシーンで、ジョンは姦淫だけは言い淀むのが伏線になりますが、馴染みのない言葉なので、初見で聞いた時には一瞬漢字変換できず悩んでしまいました。これは知識があった方が良かったです。姦淫の罪を告白して、その場の人たちが「なんてことを言うんだ…!」と衝撃を受けるので、魔女でなくとも十戒を守らなかった理由で結局重罪になるのではとも思いましたが、十戒には他に「安息日に休むこと」もあり、こちらは守れていなくても開き直っていたため、姦淫も裁かれる罪ではないのかもしれません。みんなそれどころじゃなく十戒を破りまくってますけどね!
ジョンはアビゲイルのことを「娼婦」「売女」となどとなじりますが、どんな経緯で2人が関係を持ったのかは知りませんが、アビゲイルに金は払っていないだろうしその呼び方はおかしくない?!とムカつきました。アビゲイルが、最初は悪魔なんて見てないと言っていたのに、悪魔に操られているかのようなふりをしてエリザベスたちを魔女として告発するのが許せないのは分かります。でも姦淫をアビゲイルのせいにするのは虫が良すぎる。彼女に誘惑されたんだ、俺は悪くない、という甘えが見えます。召使いの女を下に見ている。でも、現代の浮気夫だってこんな感じ。観劇前にパンフレットで「ジョン・プロクターは悪役」という言葉を見たからか、ジョンに対して厳しい目で観てしまいました。
パットナム夫人が何度も死産したことは、現代の医療だと母体や遺伝子に何か異常があるのではと考えられますが、当時の感覚で呪いが原因と考えるのは理解できます。現代だって、非科学的なことや研究で否定されていることを信じている人たちは大勢います。俗に言う「陰謀論」も似たようなものでしょう。「陰謀論」がはたして本当に「陰謀」で偽りの言説を流布しているのか、純粋に誤った思い込みなのかは分かりません。自らの利益のために陰謀をはたらく者は自分が「陰謀論者」である自覚があるでしょうが、自分が正しいと思い込んでいる人にとっては、否定してくる者たちこそ「陰謀論者」でしょうし、否定されればされるほど頑なに考えを変えないものです。
「信仰のために血が流れるなら、信仰に執着すべきではない」というヘイル牧師の言葉がありましたが、信仰や私利私欲のためというよりも、自分の好きな人たちや大切にしてきた環境を守ろうとするあまり、誹謗中傷を行ったり陰謀論に染まる人たちをここ数年たくさん見てきました。それは、自分の正義に執着して血を流しているのと同じです。私にも好きな人や大切な環境があり、私にとっての正義があるため、自覚はないものの他の考えの人たちからは眉を顰められる言動を取っていないとは言い切れない。だからこそ執着しないよう気をつけないと。
「自分を赦してくれない」と嘆くジョンにエリザベスが投げかける「貴方を裁くのは貴方」という台詞も心に残りました。ジョンの不義は自分の身体が弱いことや自分の冷たさが原因だから、私の罪まで貴方が被ることはない、とエリザベスは言います。エリザベスに赦してもらうことではなく、ジョン自身が自分を赦さないと罪の意識から解放されない。作品は違いますが「凍える」も「赦す」がキーワードだったことを思い出しました。赦しは相手のためではなく、自分の心を解放させるためにあるのでしょう。解放とは執着から解き放つということです。
観劇している時は、魔女狩りなのになぜ悪魔を見たと告白すると処刑を免れるのかが分からないままだったのですが、論文によると、「自分は悪魔の名簿に名前を書いたと告白しても、他に悪魔と一緒にいた人の名を告げ口することで罪を逃れることができる」ということで、この構図が作品が発表された当時のアメリカにおける赤狩りと重ね合わされているのですね。共産主義者として投獄されても、仲間の名前を挙げれば罪には問われない。だから「悪魔を見た」と告白したジョンが「他の人の姿は見ていない」と言ったことで、なんで?!それだと釈放されないのに??という反応になったわけですね。そもそも悪魔に操られている(と主張した)アビゲイルたちが悪魔と一緒にいた人たちの名を挙げたのが発端で、次々と名前が挙げられていったのです。ストーリー的に一番大事なこの理屈が分かっていなかったものの、悪魔に会ったことと悪魔と一緒にいた人の名を告白させようと判事たちが必死になる姿が滑稽であることは分かりました。ジョンを処刑したくないなら無罪判決を出せばいいだけなのに、有罪にしたことを覆すのは体裁が悪いからそれは出来ない。かと言って捕らえた人たちが悪魔に魂を売ったことを信じているわけではない。では何のためにこの人たちは投獄され処刑されるのか。十戒では偽証するなと言っているのに、ジョンには偽証しろと働きかけている。全く意味がわかりません。でもこんな事態に陥ったら、私がダンフォース判事ならもっとオロオロしそうですが、毅然とした態度で自らの発言を覆すこともせず、これがリーダーシップか…と感心しました。戦争をする国のトップも、自国の攻撃の正当性を訴え、決して降伏しません。そうしないと自らの判断が間違っていたことになるし、亡くなった人たちが無駄死にになるからです。しかし、それではどうやったら戦争は終わるのでしょう。戦争の終わらせ方は歴史から学べますし、歴史を学べばそもそも戦争を始めるべきではないことも分かるはずなのですが。話が逸れてしまいました。
そんな感じで、るつぼを観て「あるあるだな〜」という感想になったため、罪なき人が処刑される不条理さに泣いたり怒ったりは出来ませんでした。自分の正義に執着するのは怖いな、と自分を戒めた次第です。観客は事の経緯を知っているけれど、判事たちは有罪の証拠も無実の証拠も持っていないのだから、私の信じる正義と彼らの信じる正義が食い違うのも仕方ない。私たちがその誹謗中傷だと受け取っていることも、言っている人たちにとっては真実なのかもしれないから。そのために血を流してもいいのか、という話です。
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基本的に私はミュージカルが好きなのでストプレへの熱は低めなのですが、「Oslo」でご一緒した演出の上村さんがジョン・プロクター役を坂本さんに演じて欲しいとオファーしてくださったことがとても嬉しかったです。まーくんさんがどれだけ演劇賞を受賞していても、オファーされるような役者である実感がない。だってまーくんさん以外にも素晴らしい役者さんはたくさんいることを知っているから。その中で信頼できる役者だと声をかけてもらえるのは本当にありがたい。
るつぼが直近に上演されたのは、堤真一さん主演のコクーン版でした。堤真一さんのやったお役をまーくんさんに…!分かる!一夜の過ちを犯した少女に執着されそう!最初はたくましい農夫の姿なのに、投獄されて3ヶ月拷問を受けた後は痛々しいほど痩せこけており、ということは逆算するとあのたくましい農夫の姿は一体どのように作り込んでいるのか??と魔法を見るかのようでした。宝塚の男役さんも筋骨隆々なたくましい男性の役を演じることがありますが、中身はほっそりした美人さんなので、要するにそういうことだろうなと理解しました。
妻のエリザベスには前田亜季ちゃん。昔から大好きで、亜季ちゃん目当てで映画「バトル・ロワイアル」を観て恐ろしい目に遭いました(超怖かった)。パンフレットによると、まーくんさん曰く「いい意味で夫婦的な空気が作れた」とのことで、好きな人たちがお似合い夫婦役になって超ハッピーでした。これはOsloでとうこさんの時にも言った。上村さんと気が合う。
ヘイル牧師にはふぉ〜ゆ〜の松崎くんがキャスティングされました。このようなシリアスな作品に出演する姿が想像つかず、出演者コメントが「トゥクストゥ〜〜〜〜ル〜!!」で始まり「劇場でお待ちして松。」で終わったことに頭を抱えました。今年のふぉ〜ゆ〜は結成15周年の勝負の年なので、過去には舞台班を担当していたわっしょい社長もふぉ〜ゆ〜のことは気にかけてくれていましたし、坂本くんとの共演で演技の幅が広がれば、という期待も込めて事務所から売り込まれたのかなと思っていましたが、上村さんがふぉ〜ゆ〜ちゅ〜ぶを見て「この明るい性格の人が、プロクターと出会って変わっていくヘイルのギャップを演じたら面白そうだなと思って」とマツの名前を出したとのことで、ホントになんで?!と混乱したものの、やってて良かったYouTube。私はSHOCKで長年マツを観てきたので、他の出演舞台は観ていないもののどんな演技をするかは知っていましたし、帝劇仕込みの明瞭な発声で良かったです。まーくんさんとこーさまの兼オタは何人か知ってるし、Jフレ担としてSHOCKでマツを知っているまー担もそれなりにいるのではないかと予想していましたが、TLで感想を見る限りお初にお目にかかりますな方がほとんどのようで、まー担というかブイ担ってSHOCK観てないんだな?!と実感しました。SHOCKは事務所担必修科目みたいな扱いをされてきたけれど、ふぉゆもテラハラもそんなに知られてないんだなぁというのがここ最近の気づきです。まーくんさんがまだ立ったことのない帝劇にマツはどれだけ立ってきたか、まーくんさんがまだ立ったことのないクリエで(以下略)という目で2人を見て欲しい。私の帝劇拗らせ感情がご理解いただけるだろうか。東宝Pに愛されてていいなぁ。ファニーガールが発表されたのでちょっと気持ちは落ち着きましたが。
舞台「るつぼ」
— 『るつぼ The Crucible』2026年3月~4月上演 (@rutsubo2026) 2026年4月12日
本日無事に大千穐楽公演が終了しました✨
あたたかな応援とたくさんの拍手を
誠にありがとうございました🙇♂️
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17世紀、セイラムの夜明けとともに。#上村聡史 #坂本昌行 #前田亜季 #松崎祐介 #瀧七海 pic.twitter.com/qnDi7a3KU0
傾斜のついた大きな円と大きな満月が印象的な舞台美術で、2幕ラストにエリザベスが満月の前で身体を折って祈る姿が宗教画のようで荘厳でした。が、今思い返すと、夜が明けて処刑の朝を迎えたのだから満月ではなく太陽だったのでは…?すっかり勘違いしていました。東京で最初に見た時に太陽がガタッと動いていて、ここは静かにスーッと動いて欲しいなと感じたのですが、兵庫で見た時にはスーッと動いていたので、やはり東京で見た時はトラブったのだなと確信しました。2回観て良かった。上にあがる動きだったはずだから太陽がのぼっているのだと気付くべきだったのに、なぜ満月と思い込んだのか。
たしか1幕ラストにもエリザベスじゃない別の人が同じポーズを取っていた記憶があるのだけど、ジョンだったかな…?これも2度目に観たときに「2幕ラストと一緒だ」と気付いたのですが、1週間経ってもう忘れてしまい自信がなくなっていました。が、感想絵を上げてくださった方がいて、やはり1幕ラストに立っていたのはジョンなんだけど、ポーズは流石にエリザベスとは違っていて仁王立ちだったみたいです。
自己弁護するわけではないですが、演劇のこのような抽象的な表現やテロップで補足されない背景をどこまで受け取れるかが、舞台演劇ならではの面白味でもあるなと思っています。観劇後に他の方の感想を読んで、そんなことしてるなんて気付かなかったよ!とか、そのシーンとそのシーンが繋がってるのか!と初めて知ることも多々あり、自分の視野の狭さや記憶のなさ、読解力の欠如に愕然とするばかりです。しかし、生きている上で全ての事象を正確に認識し記憶するなんて無理な話で、特に私はぼんやり理解で生きてるから、こんな判断力で物事を正しい/間違ってると決めつけることなんて出来ないよな、と思います。自分を信用できない。だからこそいろんな立場の人の話を聞いて考えることが大事なのに、なかなかうまくいかないものですね。