宝塚月組「BADDY」の新しさ

宝塚月組の「カンパニー/BADDY」*1を観てきました。宝塚を全くご存知なくてこのブログを読んでくださる方がどれほどいるかわかりませんが、簡単に説明すると、宝塚の公演には「一本もの」と「二本立て」があって、今回は「カンパニー」という作品と、幕間休憩を挟んで「BADDY」というショーがある二本立てだったのです。

「カンパニー」の方は小説が原作の現代劇です。主役は製薬会社の総務課長。宝塚と聞いてイメージされる作品とは全く違います。だいたい「Shall we ダンス?」を想像していただければ良いかと。これも宝塚で舞台化していますね。
原作を読んでいた方からは色々ご意見が出ていたようですが、私は読んでないのでご意見はありません。めちゃめちゃわかりやすくて、絶妙にダサくて、宝塚の世界観が苦手な人にもとっつきやすい内容かと思いました。PTAとか町内会で団体予約して観て欲しい。

私が語りたいのはショー「BADDY」の方です。
とは言え、一回しか観ていない上に、二回目を観る予定もないので、たいしたことは書けませんが。
このショーについてはまさに賛否両論あるようでしたが、私はとても興味深く観ました。「賛否両論」と書いたものの、実際に否定的な感想を読んだわけではなく、私の周りは「一回では咀嚼しきれない…」と困惑している人と「ブラボー!!」と喝采している人の両極で、どこかの観劇レポに「これは賛否両論あるだろう」という言葉を見かけたような…というくらい。私はブラボー喝采派です。

このショーのトピックスはだいたいこのような感じです。

  • ショーには珍しくストーリー仕立て
  • 上田久美子先生が初めて手がけるショー
  • そもそも宝塚で女性演出家がショーを手がけるのが今回初めて

ショーには珍しくストーリー仕立て

ミュージカルとショーの違いは何かと問われると、正直よくわかりません。帝劇のヒロム舞台はミュージカル作品と呼ばれるようですが、ショーだよね?パフォーマンスを観せたいだけではなく、筋書きを通じて伝えたいことがあるのはわかる。でも演技は特に指導してなさそうだし、ショーの演出に力を入れてるというかショー演出しかしてない気がするんだよなぁ。例えばドリボだと違うのかな?

SHOCKを初めて観た時は、突然のフライング!突然のワールドアドベンチャー!突然の車マジック!突然の殺陣!と続くので全くストーリーを理解できなかったんだけど、あれもこれも劇中劇だということが分かって納得できました。ミュージカルの劇中劇としてのショー。
滝沢歌舞伎はもちろんミュージカルではないけれど、全編歌舞伎なわけでもなく、ショーと歌舞伎と時代劇の三部構成になっていました。最初のショーはショー重視のコンサートみたいな感じで、歌舞伎の白塗りライブがMC、歌舞伎と時代劇はストーリーの中の見せ場が本家よりショーアップされている感じでしょうか。これは完全に初見の印象ですが。

だからBADDYを観た時「これって滝沢歌舞伎じゃん!」と言ってしまったのでした。説明が必要。ヒロム舞台はショーを観せることと伝えたいメッセージを盛り込むことを重視するがあまり「言いたいことはすごくわかるがトンチキ」*2になるんだけど、こーさまや滝沢さんはヒロム美学を理解している常識人なので、全体的な調和を意識してショーを観せようとされている感じがする。まぁ裸で回転しながら太鼓を叩くのが調和なのかはさておき。
BADDYは、正義と悪の対立というストーリーをベースにしつつ、群舞やペアダンスなどショーで観たいものはまんべんなく組み込まれていたので、手法的には滝沢歌舞伎側だなと。まゆぽんさんはだいたいヒロミ犬だし*3

ストーリーがあると言っても単純明快なので、深いことは考えずにガハガハ笑いながら観ていたらついでにショーも楽しめて一石二鳥。コスパが良い!あまりにシームレスにショーが差し込まれるからメリハリが足りないと言えなくもないけど、逆に、何の脈絡もなく場面が変わるのも何で?!といちいちツッコミたくなるから、それはそれかと。
そう言えば、ショーとレビューの違いもよくわかんないな…。まぁいいけど。

女性演出家が初めて手がけるショー

宝塚の作品を演出するのは、主に宝塚歌劇団に所属する演出家です。エリザベートオーシャンズ11の演出などで有名な小池修一郎先生は、外部舞台の演出も多く手がけていますが、宝塚歌劇団に所属する演出家です。女の園宝塚歌劇団なのにとビックリしてしまうのですが、所属している演出家は圧倒的に男性が多いです。一般的にも女性演出家は、男性に比べて多くはないかもしれませんが。

上田久美子先生は2013年に演出家デビューし、2015年には「星逢一夜」で読売演劇大賞・優秀演出家賞を受賞されましたが(Wikipedia知識)、ショー作品を手がけるのは今回の「BADDY」が初めてだそうです。そもそも、女性演出家がショー作品を手がけること自体これまで無かったそうで、別に「ショー演出は男社会」という縛りがあったわけではなく女性演出家の少なさ故にだとは思いますが、超意外でした。
『私がコケたら、もうショーの女性演出家が出ない』という上田先生の言葉*4もありましたが、そんなことで女性蔑視される環境ではないと思いたいので、自らにプレッシャーを与えるために仰っただけでしょう。

上田先生がBADDYというショーを生み出した経緯は公演パンフレットの挨拶文に書かれているのですが、それを引用して紹介するわけにはいかないのでご紹介に留めます。公演中でなくても、お近くのキャトルレーヴで1冊1000円で販売されています。

BADDYがどんなストーリーのショーなのかをザックリと説明すると、『戦争も犯罪も全ての悪が鎮圧されたピースフルプラネット“地球”に、月から大悪党バッディが乗り込んでくる』というものです。超わかりやすい。バッディは大悪党なので大門サングラスにタバコを吸いながら登場するよ。超わかりやすい。地球は全ての悪が存在しないので、悪い言葉も概念も存在しない美しい世界。でもちょっと退屈。そんなところにやってくる大悪党バッディたちは、とても刺激的な存在です。
いくら地球上から悪を消し去って善で漂白しても、地球の外には悪は残っているのです。そもそも善の定義は?悪の定義は?それは誰にとっての善?
また、バッディと共に月からやってくるスイートハートは、男性なのか女性なのか判断しかねるグレーな存在です。演じる美弥るりか様が元々中性的なルックスなのもあるし、そもそも宝塚って女性が男役を演じる世界だから当然なんだけど、男性か女性かなんてそんなに問題なの?と考えさせられてしまいます。

ダイバーシティ(多様性)という言葉を最近よく耳にします。あ、そういえばV6のリーダー坂本昌行さんがダイバーシティに関する雑誌でインタビューを受けています。3/23発売です。(ダイレクトマーケティング)*5 多様性を受け入れるべき。それは頭ではわかってるつもり。でも本当に実践できている?自分にとっての善だけを受け入れて、それ以外は悪だから存在すべきではないって拒絶してるんじゃない?不快なのはもちろんみんな嫌だ。でも、善悪も快不快も人それぞれ。自分の善のために誰かを息苦しくさせてない?

「女性演出家」という呼び名は、「演出家≒男性演出家」と暗に言っているようにも感じます。でも、そんな定義はありません。男性でも女性でも演出家は演出家です。性別はあらゆる属性の1つに過ぎず、国立大卒とか奈良県出身とかそういうものと変わらない。女性だからショーが演出できないわけじゃない。上田先生は元々レビュー(ショー)に憧れて宝塚の演出家を志したものの、入団試験で書いたレビューの企画書は諸先生方から「ようわからんかった。芝居やった方がええ」と言われてしまいます。今回のショーも、これまで練り上げられたショーの手法を踏襲しているとは言えないし、出演者たちからも戸惑いの様子が伺えました。
でも、私はとても楽しかったし、伝えたいメッセージは受け取れたし、観たいパフォーマンスは見れた。大満足。ショーやレビューやミュージカルの定義はよくわかんないけど、それで充分じゃない?

ダイバーシティが理解できずに苦しむ人たちにも、生きづらさに苦しむ人たちにも、ぜひこの「BADDY」を見ていただきたいなと思いました。でも、全ての人に同じように伝わるとは思いません。ハマる人にハマればよい。これにハマらなくても、他にも色んな作品があるから。舞台作品だけでも充分に多様化しています。色んなものに触れることで、自分の好みに気付き、自分を更に知ることができます。そして、他の人との違いを受け入れられるようにもなるはずです。多くの人に幸あれ。