読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「嵐はいつブレイクしたのか、起爆剤は何だったのか」


「嵐はいつブレイクしたのか、起爆剤は何だったのか」を学ぶ - それは恋とか愛とかの類ではなくて

あややさんの「嵐はいつブレイクしたのか」という呟きに対して、多くの様々な意見が寄せられたものを纏めてくださいました。
かく言う私も自分の意見をリプライさせていただいたのだけど、同じ嵐ファンでもブレイクしたと感じるポイントが違うということは、ファンの数だけ嵐のストーリーがあるということ。
時系列に出来事を羅列するだけの年表ならズレは起こらないけれど、その出来事をどのようにファンが受け止めたかは人それぞれ。
ジャニヲタをやっていて、本人たちのキャラクタ設定がファンによって全然違うことは肌で感じているのだけど、出来事もそうなのか、と目から鱗だったので、折角だから私から見た嵐のストーリーを書いてみようと思い、主な出来事を独断と偏見でピックアップしてみました。あくまで「私から見た」なので、私の個人的な感情がベースとなっており事実とは異なる場合があることはご了承ください。

===================

2003年

  • 3/15公開 映画「青の炎」(監督・蜷川幸雄)/二宮
  • 7/2~2005/9/28 NTV「Dの嵐
  • 9/14~10/5 「How's it going?」キャンペーン フィルムフェスタ/ZEPP OSAKA

何故2003年から始まるかと言うと、私が初めて嵐現場に入ったのがフィルムフェスタだったからです。デビュー前からのニノファンである大学の先輩が、同行者が行けなくなり、ジャニヲタでも何でもないのに「こういうの好きそう」という理由で誘われました。初めて見た嵐はZEPPの相葉&松本ペアだったのですよ。近っ!ここで、大宮SKのスキンシップを見て、二次元より頻繁に公式が萌えを提供してくるジャニーズの世界に興味を持ちます。
「きみペ」は見ていたけど、特に松本さん個人に興味を持つことはありませんでした(どちらかというとメガネキャラ長野さんが気になった)。
冬コンのチケットも、その先輩が確保してくれました。沼に落ちそうな新規に優しいのはブイ担だけではなりません。この時期はまだアリーナで、熱いヲタがほぼ全ステしているからそれなりに埋まるけど、ダブらせる人も多く、普通の席なら定価以下で譲って貰えました。

2004年

  • 3/1~4/2公開 映画「ピカ★★ンチ」大阪サンケイホール
  • 4/8~ NTV「志村どうぶつ園」/相葉

誘ってもらって入った冬コンが楽しかったので、夏コンで先輩に恩返しをするためにFC加入。転落の第一歩。新規パワーでオーラス福岡が取れたのですが(新規いきなりの遠征)オーラスも掲示板で定価で譲ってもらえた記憶。「いざッ、Now」はパルココラボ企画もありましたね。
初めての24時間テレビ。相葉さん号泣の名文句「てっぺん取ろうね」を聞いてもらい泣きしたものの、まさか本当にてっぺん目指してたとも知らなかったし、その後本当にてっぺん取れるとは思いもよりませんでした。
周りに吹き込まれた情報を鵜呑みにするジャニヲタ新規だったので、生意気なことですが、この時期までのコンサートは試行錯誤感がファンにも伝わっていました。ツアー中毎日反省会が開かれたと聞きましたし、セトリや演出はツアー中にコロコロ変わっていました。
WSSは映画版と四季版を観ていたミュージカルファンだったので、これまた失礼な意見ですが、正しいキーで歌えるかどうかというレベルで、子供の学芸会を観る気持ちで終始ハラハラしていました。共演の斗真・風間さんはJr.だけど嵐以上の存在感で、ますますマズイと感じました。同じ年に少年隊さんもやっていて、なんで嵐にもやらせようと思ったのか、運営側の真意が知りたいです。

2005年

  • 1/13~3/24 ドラマ「優しい時間」(脚本・倉本聰)/二宮
  • 1/15公開 映画「東京タワー」/松本
  • 4/3~5/4 舞台「理由なき反抗」(演出・堤幸彦)/二宮/グローブ座、ドラマシティ
  • 5/1~5/29 舞台「エデンの東」/松本/グローブ座、BRAVA
  • 9/6~10/9 舞台「燕のいる駅」(演出・宮田慶子)/相葉/グローブ座、厚年芸術ホール
  • 10/5~2006/3/12 NTV「Gの嵐

当時の嵐のファンは熱心なリピーターも多く、舞台のチケットはなかなか取れなかったのですが、中でも大野さんファンの情熱がすごく、特にプーシリーズは全く取れないという噂でした。私は噂に負けて不戦敗だったので、プーシリーズは観たことがありません。他メンバーの舞台は、一般や当日券を駆使して1~2回は観ていました。
二宮さんの大物転がしが本格化し、倉本聰さんを「聰ちゃん」呼びする始末。このキャラも、後のブレイクに繋がっていると思います。
Gの嵐は深夜冠番組がリニューアルを繰り返したものですが、エアギターやパジャマ回、乳首Tシャツなど、名コーナーが生まれて良い流れになったと思います。関西は何週か分からないくらいの遅れ放送だった記憶です。
Oneコンでは、松本さん発案のムービングステージ初登場。今やどのグループでも定番化しましたね。
WISHは、手売り握手会が週末に幕張メッセで開催されました。理由をすっかり忘れていたのですが、3週目の「青春アミーゴ」に負けそうだったからですね・・・。11/2はWaTデビューシングルが2位になって可哀想だなと思ったのでした。この週末は、10周年Vコンで北海道に行っていたので行けなかったのでした。

2006年

  • 1/14~2/1 ソロコン/櫻井/Zepp大阪
  • 1/29~2/26 ソロコン/大野/Zepp大阪
  • 3/11~4/25 映画「硫黄島の手紙」撮影のため渡米/二宮
  • 7/31 キャンペーン「JET STORM」
  • 9/16~9/17 アジアコン/台北
  • 11/11~11/12 アジアコン/ソウル
  • 12/9公開 映画「硫黄島の手紙」/二宮

櫻井さんと大野さんがZeppでソロコン。さすがに激戦でしたが、両方取れた人はそれなりにいた気が。それを言うなら今の嵐コンも多ステする人はそれなりにいますが。
試行錯誤していたコンサートですが、シックコンで一皮剥けたように感じました。有名な長机での登場。良いコンサートだったのに一部しか映像が残ってないのが残念ですが。ツアー中、大阪城ホール1日3公演の後に、専用ジェットでアジアコンの弾丸キャンペーンに行きます。翌日以降のWSで盛大に取り上げていただいて、嵐がこんなに注目されたの初めてじゃないかなと感じました。
深夜番組が11時台に昇格して小倉さんとの共演になり、ゲストを呼ぶ形式に変わりました。5人だけのワチャワチャが好きだったファンはモヤモヤしたかもしれませんが、隠れ嵐ファンとしてELT持田さんが出たり、芸能界にファンがいることも小倉さんという大物を味方に付けるのも強みなのではと思いました。
私は、2006年がブレイクのキッカケだった説を取っているのですが、その大きな理由はZEROと硫黄島です。音楽番組に5人で出た時にも「見たよ!」と司会の方に言ってもらえる仕事がある、この売れてる感。二宮さん渡米中は、4人で音楽番組にも出ていましたが、4人でいることがハリウッドニノの宣伝にもなっていたでしょう。

2007年

  • 2/21 シングル「Love so sweet」
  • 4/21~4/30 コン「凱旋記念最終公演 ARASHI AROUND ASIA+ in DOME」/京セラドーム大阪、東京ドーム

アジアの凱旋コンが年明けに2会場しかなく、海外に行ったオタも行けなかったオタも申込みが集中し、史上希に見る落選祭りになりました。申込みにはシックコンの期待感もあったかと思います。落選分が追加として4月のドームに回され、ダブって申し込んでいるオタクたちがドームチケを大量に余らせて絶叫しました。決してやりすぎない私もダブらせたので、嵐に興味を持ち始めた職場の同僚に譲りました。「嵐コン行ってみたいー」の声に気軽にお応えできたことが、新たなファン層を産み出したのかもしれません。「黄色い涙」もTimeコンのアリーナも、凱旋追加ドームが決まる前の嵐レベルで決まっていたものです。Timeコンは最後のアリーナツアーとなりました。

2008年

  • 2/21~2/29 個展「FREESTYLE」/大野
  • 6/25 シングル「One Love」
  • 9/5~11/16 アジアコン「Arashi marks ARASHI AROUND ASIA 2008」/国立競技場、台北、ソウル、上海

ZERO、ハリウッド、花男、どうぶつ園、とそれぞれのキャラを確立させていくことで嵐のお茶の間認知度が高まる中、大野さんは個展を開きました。ここで5つのピースが揃った感です。
それまで大野さんの演技仕事はプーシリーズや嵐映画でファンだけが知るところでしたが、魔王で世に出ることができました。主題歌の「Truth」も嵐シングルとしては新境地でした。
ハワイドキュメンタリーで大野さんが辞めたかったと語っていたのは2006~2008年くらいかなと推測しています。

2009年

  • 2/23~3/23 舞台「グリーンフィンガーズ」/相葉/青山劇場、梅田芸術劇場メインホール
  • 8/28~2010/1/17 コン「5×10」/国立競技場、5大ドーム

2007年以降の書き抜きが少ないのは、私がブイに軸足移してしまったこともあるし、もうすっかりブレイク後でしょというのもあるのですが、国立や5大ドームが普通に行われていること、紅白出場は明らかにブレイク後の姿ではないかと思います。

===================

「2006年がブレイクのキッカケ」と言いながら、その頃には既にファン側にいたので、お茶の間がどのように嵐を見つけたのかは正直わかりません。増えたファン層がお茶の間なのか他G担なのかもわかりません。きっと両方なのでしょう。そして、ブレイクとともに距離を感じてフェードアウトするファンも少なからずいて、2006~2009年の間に大規模なファンの洗い替えが発生したことは間違いないと思います。

2006年まで、舞台・ドラマ・映画・バラエティ・コンサートと、個人でもグループでも様々な仕事があって、熱心なファンはたくさんついていて、でも「てっぺん取る」ことは出来ずにずっと試行錯誤していた嵐が突然ブレイクしたのは、本人たちの言うように「不思議なこと」なのかもしれません。ファン側にとっても不思議な現象だったから。個人仕事の成功がキッカケになったとは思いますが、私が感じたのは、マスコミのステマ力です。専用ジェットのキャンペーンでは、さも嵐が売れっ子であるようにWSで取り上げてもらい、小倉さんや持田さん、森三中の大島さんといった芸能人の方にファンになってもらうことで、たくさんファンがいるように見える。ファン一人一人のステマより、メディアで一言発言してもらえた方が効果絶大です。マスコミを味方につけるには、ファン向けのパフォーマンスだけでなく、仕事の現場における立ち振る舞いも重要だと思います。

試行錯誤してたのはせいぜい7年目までだったので、今で言えばJUMPです。そう考えると、あの試行錯誤感も納得ですが、今はグループ数も多く、当時の嵐と同じような活動をしようにも場が限られています。それぞれのグループがどのように成長していくのか、とても興味深いです。